帰省と旅

見えない病魔と戦って頂いている病院の皆様が、次々と感染症に襲われていく。工学者などは何も出来ず、実に悔しい想いをしている。総力戦で何かをやってはみたいが、見えない的にバンザイ突撃するのは、時節柄好ましい態度ではない。静かに秘策を錬ることぐらいが関の山ではあるが、何か、チャレンジをさせて頂きたい気持ちは山々あるわけだ。

三重県の知事が独自の緊急事態宣言を出された。岐阜県知事などは「名古屋から来るな、名古屋に行くな」と、地名を挙げてアンチ名古屋ぶりを発揮して頂いているわけなのだが、それはかなり頷けるところがある。逆の立場なら同じことを言ったに違いないのだ。飲食店という、ストレス解消で明日の元気を与えて頂けるお店が悪者扱いをされて、これも実に息苦しい。

日本の国の伝統であるお盆の帰省の時期が迫ってくるわけだが、今年のお盆は通常というわけには行くまい。政府はGoToキャンペーンよろしく、不可思議なことを言い出しているわけだが、ご老人が楽しみに待っているのは解るのだが、なかなか思い切りよく帰省というのは難しかろう。今年は、まぁ、我慢をして、その分、不安が払拭された時に、再会を喜び合うのが良かろう。

帰省は駄目で旅行は良い。旅行先の仕事も良くて、何が何でも旅行をさせようという、その根性は凄いなと思うのだ。命がけで旅をしろという、まるで獅子の谷底落としみたいな、そんな国家に住んでいるわけだ。じっくりと人生を考えるなどと、優等生地味たことなど御免こうむる。何か新しい、そして面白いことは無かろうか。まだ数日ある。自らのひらめきに期待しよう。そんな日々だ。

お盆休み一週間前にて

土曜日から激しい晴天となり、明け方の太陽の日差しが懐かしく、ぼぉっと眺めてしまった。こんな空だったなぁと、青空に驚かされた。そして太陽のエネルギーが雲の宇宙よりには降り注いでいたのだなと、改めて太陽の平等さに頭が下がる。人間目線で言えば大地に降り注いで欲しいわけだが、宇宙目線から言えば、地球上の蠢く連中のことなどどうでも良く、ひたすら核融合を継続させて、エネルギーを提供する活動を、水蒸気のカーテンだろうがなんだろうが、問答無用で続けるのだ。格好良いではないか。

降り注ぐ日差しの強さと水蒸気を多量に含んだ熱波に驚くわけで、これが遠く太平洋上では連日こうだったのだなと思うと、8月に入った途端に2つの台風が洋上で生まれても、まぁ、そうだろうなと納得するわけです。少し前に、気象予報士の方が、今年の台風は猛烈に発達する可能性がありますとTVで語っていたのだが、その大きさは何とも言えないが、数だけは多くなりそうだ。となると、暑いけれども、台風が年中やってきて、やっぱり曇り空が多くなるのかもしれない。

7月の日射の少なさに、地元の農協では野菜の出荷が少なく、他地域の所謂「ハウス」ものの野菜が並ぶマーケットに行かねばならぬ有様である。巨大なニガウリだけが山のように積まれている様を見ると、どうやらこの野菜だけは曇天にも強いのかなと、南方野菜のパワーを見るようで頼もしい。季節の野菜の変化を、悪気象だからこそ顕著に感じるわけで、これはこれで納得する。店頭から消えた野菜こそ、地のものであると。

お盆休み前の一週間に入った。お盆休み前に片付けておこうという気合を感じる日程表になっていて、気合を入れ直すわけだが、体力勝負の一週間、体調維持に気を付けねばならないが、コロナ禍は容赦なく広がっていて、重体にならなければ問題ないという政府の一言に無責任を感じつつ、自衛のみが身を守る国に居る以上、水分補給にも気を付けながら、当たり前の日常を繰り返すのだろうと、見えないからと焦ること無く淡々と過ごそうと思う私であります。