カーボンナノクラスター、サッカーボールモデルみたいなのが1990年台初頭に出てきて、これは面白いもんだなぁなどと思ったのを思い出す。その頃からナノテクノロジーなんて言葉が流行り出した気がするのだが、小生的にはサブナノメートル以下の世界に生きていたので、分かり易い大きさで、現象が予想通りに発現するという、まぁ、そりゃそうだろうということで、斜めから見ていましたな。何を申し上げたいかと言えば、肉眼では見えないのだけれど、それが生み出す性質にはちゃんと理屈があるのだなということ。
最近、大国が小国を暴力で席捲するとか、脅迫するとか、目に見える部分が暗い影を落とすわけだが、その根本原因である、目に見えない「心の有り様」に理屈はあるのだろうか?これはご当人に聞くしか無いのだが、その昔、正しかった姿に戻すのだとか、マスコミで報道されるように、元来は我々のものなのだから、侵略では無いと本気で思っているのかとか、見てみたい気がするのですよ、心の底を。なだいなだ先生の「心の底をのぞいたら」という著作に小学生の頃に触れて、それから何かあることに思い出すのだ。見えないけど見たい心、そもそも心って何?とか、がきんちょのくせに真剣に思ったものだ。
見えないものに怯えると言うなら、正にコロナ禍がそれで、先週に比べて増えました、減りましたで一喜一憂しているわけだが、そもそも我が国の検査数は十分では無いし、感染件数を捜査しているのでは無いかという、これも目に見えない疑いの眼差しの中にあり、これこそ文化のある国家であるならば、発表されている数値は本当に正しいのだという、数値の確度はどのように検証されたのか、少なくとも小生は全く知らないし、完璧にお応えして頂ける方を、画面を通じてでさえ目で見たことは無い。
見えないものはナノテクノロジーではなくて、他を操作したい人の心なのだなと実感する。心の世界は無意識にあるわけだが、無意識で気が付いたら他国を攻め滅ぼしていましたなんてことが、現実に目の前に迫っているわけで、じゃんじゃか火炎を上げている中でCO2削減なんて世界は言わないけれど、機械の環境対応で、CO2削減を何て言っているけれど、装置動作で得たCO2削減なんて、ミサイル一発で帳消しでは無いのか?冷えるのは人の心だけだ。寂しい限りだ。