戯言が何から生まれたかという、そのきっかけは何も無いのであるが、まぁ、その頃に、小沢昭一的こころ、ジェットストリームの二本のラジオ番組が根本に無かったかと言われると、それは否定は出来ないであろう。中学生の頃には情熱マンシリーズが語られ、怪人二十面相が語られ、ビジュアルなど一切ない、思考こそ全てというトークが、毎夜毎夜繰り返され、イメージに熱中した。具体的なゴールなど、そんな低俗な思想など持ったことは無い。天下万民、異なるイメージを持つことが出来た時代。
ツバルの島々が沈みゆく毎日、この日本は何をしているか?地球サイクルを考えれば氷河期であるにも関わらず、銭欲しさに地球を暖める。ここが難しいところで、南極が融けるよりも海の水の膨張で島々が沈むのであって、物理的に海水面でヒステリックになってはならない。むしろ、炭酸ガスを吸いつくした海水が、海洋生物を死滅させることにこそ恐怖するべきであるのだが、日本国の皆様は何も思わない。
南米諸国の森林を伐採しても、実は、地球上の炭酸ガス濃度は殆ど変化はしない。海洋生物から放出される日中の酸素こそ地球環境変動に影響があるのであって、その海が危険な状況にあるからこそ905hPaの台風が普通に現れる。サンマが採れる、クジラが長崎沖に現れる。そんな問題では無い。まぁ、小生が活きている間に、40年前の気候に戻るわけでは無いが。
深夜放送。それは正にがきんちょが熱中する憧れであった。聴くばっかりであったのだが、それが今はこちらから発信出来る時代になった。発信はするが、それは個人的発信であって、誰が誰を信じるとか、そんな流れを想って実行しているわけでは無い。情報が豪雨の如く降ってきて、それを受ける頭脳は思いやりの心と断絶し、意味のある変化を望んだとしても何をするべきか、他人任せで自らは何もしない。一歩踏み出すと全てが否定される。それでも小生は一歩進む。それだけのことだ。