研究を遂行する上で、必ず生じる装置の故障。機械的要素であればなんとかなる可能性もあるのだが、例えばトランジスタが一個飛んだという事態になると、それと同等品を入れ込まないと復活はおぼつかない。これがまた保守部品の製造が終わった直後に故障が発生するものだからたちが悪い。加えて装置開発企業にとっては買い替えを促進するチャンスなものだから、べらぼうにふっかけてくる。
まぁ、形あるものはいつかは壊れるのだから、それがたまたま発生したのだとすれば、まぁ、仕方がないということにもなろう。研究の継続のために何かを削って必要な物品を補填することになる。しかしこのままいくと、間違いなく、破産する方向にいくのでしょうね。では装置を保守しないということで良いのかとなれば決してそうではない。それはあってはならない。
ましてや使って壊してもほったらかして、しらんぷりする輩もいるのだから始末に悪い。それを正当化して威張り散らすありさま。それを守る人種も大勢。やってらんないよと投げ出そうものならさらにつけ込んでくるからそれはしない。粘り腰である。
それにしても装置の保守には御足が必要だ。様々な思いがあるが、単に安い機材の提供と社会に受け止められているならばそれは変更しなければならない。知恵という極めて高尚で得難いものが付加されるのだ。社会はそれを真摯に受け止めるべきだ。そうでないと第二第三のゴーンが生まれる。そんな気がする。