乃木大将

何と、お仕事の場は、ここまでの旅で終わりではないのだ。JR原宿駅を出て、ちょっと素敵な原宿駅をしげしげと眺める。竹の子族なる軍団がTVを賑わせたころ、小生は既にガマの油を売っていたわけだが(虚言)、まぁ、そんな賑わいがあったのだろうなと感じながら地下鉄千代田線に乗り換える。その前に表参道の想い出を一つ。今のiOSの前進にNewton OSというのがあって、それが搭載された端末を扱うお店が新宿にあった。それが無くなりしばらくすると、妖しいグッズを販売する店に生まれ変わり表参道にA社として復活した。そこを眺めに行った記憶が20年くらい前にある。その程度の記憶のみであるが、取り敢えずある。

JR原宿から地下鉄へは、屋根を繋げたら?というくらいの距離である。潜っていくと千代田線に遭遇する。原宿駅から表参道の下を潜り、直ぐに表参道駅に着く。地下鉄であるから車窓もなにもあったものではない。暗闇と眩しさの繰り返しだ。表参道を過ぎ、線路が地上の道路に沿って無理やり曲がっていることを感じさせる車輪の軋みが無くなるころに目的地の乃木坂に着く。

乃木大将と「言葉で出会った」のは母が念仏の如くに唱えていた「乃木大将とは会見の処はいずこスイシエイ」という文言であり、次は漱石先生の「こころ」の一節である。母から刷り込まれた像と漱石先生から伝わる像とはかなり違ったものがあり、今も残るお屋敷を訪ねた記憶がある。その記憶をトレースして見学をさせて頂いた。母からの刷り込みとも漱石先生からの訴えとも異なる実感を得る。色即是空というものだ。自らの心の描きようである。物事は須らくそのようなものであろう。東京のど真ん中に保存された遺構が末永く伝えらるよう切に願のだが、見かける観光客は外国の方々ばかりである。国の行く末を見るようである。

お仕事の場はそこから5,6分のところである。六本木ヒルズに見下ろされるその地で、日本中の大学の改革が語られるわけだが、綺麗に飾り付けられたその向こうには一体、どんな現場があったのだろうかと、末端の人間の一人として不安になった。一週間前の旅のお話なのだが、なんと今週も同様に東京に居る。旅日記はしばらくは良かろう。しかし、旅は思考を加速させてくれる。その効能は絶大である。見分を広げるには書物と旅の両方が必要だ。これからも旅をしなければならぬ。そう思う。