スクラムの美学

ラグビーの世界選手権を見ていて感激することは、チーム構成がどんな状況であれ、日本チームとして世界が受け入れてくれていること。そして世界各国の選手が日本のチームとして競技に取り組み、全力を出し尽くして頂いていること。新しいナショナリズムだなと思うのです。留学生が云々とか、外国人労働者がどうとかとか、親方が散々叫んでいるが、目指すべき方向ってこれなんじゃないのとサモア戦をTV観戦させて頂きながら実感した次第。余りにも力が入って、ノーサイドの瞬間に腹筋が痛いことに気が付いたくらい力が入りましたな。

その昔はラグビーは何処かに集まって試合をするということは無く、基本がホームアンドアウエーだったわけで、世界のトップチームの試合を、TVとは言え観戦できるのはとても幸せな環境になったと感じます。と言うか、日本チームが外国チームに勝つこと自体、失礼ではありますが、滅多にあたことではない。小生的には釜石の松尾さんのドロップゴールみたいな、そんな時代が蘇る程度で、前回のワールドカップからの日本チームの取り組みに本当に感激ているわけです。一丸を感じます。

国際協力って口では簡単に出てくるのですが、具体的に行動しようと思っても、自国の利益だとか、企業同士であれば自社がどうのこうのとかで決して丸くは進まないのが社会状況だと感じるわけですよ。いろいろと想い、感じるところがあるのでしょうけれど、同じユニホームに袖を通して、肩を組んで一丸となって相手にぶつかっていく。信頼の絆無くして出来ないですよね。自分の領域だけが救われれば良いという気持ちではスクラムは組めないわけです。

大切なのは公益であって、塀の内側では決してない。塀の内側に入り込んで安心されては困るわけです。常に世界を見つめ続ける。その方向性が大切なわけです。守られていると思った瞬間、そこは一穴となる。守りはあってはならないこと。攻め続けて、境界線は保たれる。そんな時代です。苦しいけれど、頑張るしかない。そう思う。