金継ぎという技術が日本に伝承されています。割れた茶碗を漆で繋いで、金粉で飾る。割れたからこそ生まれる侘びさびですな。博物館のガラスの向こうで出会う訳ですが、ある時、それをやってみようと思ったわけです。とあるところで入手したお茶碗を、ある事件で使えなくなっていたわけですが、どうしてもそれを復活させたいと、セラミクス接着剤みたいなもので逃げようかなと思いつつ、ふと、自分で出来ないかなと無謀にも勉強を始めたのです。漆工芸の本を買い込み、勉強を始めるわけですな。
結果として元の様に利用できなければ無駄な努力です。だから挑戦する前に、99%の確率ではゴールに到達できるという確信に到達した時点で、素材を買い求めましたな。漆等々、目の前の伝統工芸を支える素材を眺めつつ、後には引けないという追い詰められ感に胸を押しつぶされそうになりながら、漆と言う自然の恵みに祈るように作業に挑戦してみました。結果、数年間も壊れずにお茶碗を使い続けております。
何が言いたかったかと言えば、無駄な努力では無かったですよということだ。何しないより『まし』という事を事も無げに仰る方が多いように感じます。小生は無駄な努力は無駄だと思っています。大切なのは極限まで成功確率を高めることを伴う努力をするべきだということを心掛けることだと思うのです。己を知り尽くし、相手を調べ尽くし、自らの挑戦が「運」でひっくり返えされることならしょうがない、くらいに考え抜いて行動に出ること。これは無駄ではありません。何等か、獲得できると思います。
そんな無駄を省いていかないと、日本経済はますますもって泥沼化します。レシートを見て10%になっているなと嘆いても遅いわけです。財務省は社会保障・税一体改革により、消費税率引上げによる増収分を含む消費税収(国・地方、消費税率1%分の地方消費税収を除く)は、全て社会保障財源に充てることとされています。しかしながら、社会保障4経費の合計額には足りていませんと暢気に言っている。まだまだ上げますよということだ。どこかに無駄な努力があるとすれば削らねばなりません。日本の国で働いて税金を払おうと願う若者が増えない限り、国は亡びるわけです。無駄ではない努力に集中する。それは何かを常に考えなければならないと、2%の大きさに喘ぐ私であります。