政治無関心の行きつく先

中京地域の景気を見るには、日経を見たりNHKを見ても全く無駄で、三丁目に出錦するのがよろしい。がらんがらんの年末の夜を見れば、どれだけの景気の状況か直ぐに分かる。リーマンの時から比べればまだましかもしれないが、景気が良いとは決して思えない。次のどのようなリズムで景気が上がるのか分からないが、しばらくかかるのではなかろうか。

そもそも論として、情報ネットワークの高密度化以外に産業をひっぱるものがあるのか?従来産業とは異なる世界のモノづくりは発展を続けていくのであろうが、自動車作り等、ロボットで済むものはロボットが主役となって、人間がアシスタント化していくことが当たり前のような気がする。真に学理を追求する研究者か、3世代後に世界を引っ張る革新技術を生み出す研究者かしか残らないのではないか。三世代と言っても数年後だったりするかもしれないが。

何度も言うが、景気が良いと自らが思ったことは一度もない。それでほのぼの生きているのでなんてことはない。起きて半畳寝て一畳である。ただ、採血されるような病気にはなりたくないだけであって、最低限の健康が保てればそれで良いのだ。それよりも何か人に活用して頂けるようなアイデアを生み出したいと、それは常に思考している。恐らくそれは、魂が抜けだすまで続くのではないか。

ただ、国民が減少し、政治家が国の借金を膨大にして、その利息を国民の税金で埋めていくような政治の国で生きたくはないとは心底思う。政治に無関心で、総選挙をやっても投票率が3割台という悲惨な国家では、ほのぼのと言っても十三階段を登り詰める人生である。桜を見る会だのなんだのあっても、何も変わらない。日本だけでは無い。何か、世界の停滞を感じる。そんな不安を感じているなら自らそれを吹き払うしかない。そう思う。