タイヤを履いた絶対安全を謳うボルボらしい発表だなと感心し、日本はますます遅れていくのだろうなとため息がでる。まぁ、日本だけの責任では無く、米自動車技術会がさだめた自動運転レベルにこだわる日本と、そこから全く逆の視点から目指すところを明示したボルボとの差である。要するに技術オリエンテッドのものづくりか、本来目指すべきものづくりかの違いである。自動車は人間が使う移動手段であって、ユーザーにとって選択した車はどんな安全を使い手にもたらしてくれるかを指標にする。当たり前のことが今まで示されていなかった。
とは言うものの、小生も自動運転レベルという言葉に踊らされていた。ボルボの再定義によれば完全自動運転、運転支援、完全自動運転と運転支援を切り替える状態の3状態を定義した。2020年内に死亡者や重傷者を無くすことを目標に掲げるボルボ社は運転支援強化に取り組み始める。我が国のNEDOでも取り組んではいるのだが、ソフトウエアだけではなく、ハードウエアそのものの処理能力を高め、自動車そのものをコンピュータとするという取り組みは、ボルボ社の発表で加速せざるを得ないだろう。
ハードウエアを徹底的にオーバースペックで作っておいて、処理ソフトウエアは遠隔更新で機能拡張していく。ユーザーは購入した後もソフトがリアルタイムで更新され、機能強化がなされていく。当然のことながら、それらを含めた車両価格になっていくわけだが、そもそも論として、自動車は絶対的に安全な乗り物でなければならず、安価な製品を求めすぎな社会構造そのものを変革することに繋がる。良いものは高価でなければならない。
良品安価を謡うことも、そりゃぁ有難いに決まっている。ただ、我が国の賃金が先進国においては最低状況にあり、それだからこそ物の値段を上げることが出来ず、企業が競争力を失っている状況である。テック系ベンチャーが我が国では発生しにくいという現状もそれと関連しているのは間違いなかろう。安全・安心は当たり前だが、それを実現するには資金が必要である。それをユーザーが応援できるレベルの給与体系にならない限り、人口減とともに日本は滅びるのだろうなと悲観する。