人は国家なり

数年前の笹子トンネルの天井板崩落に限らず、我が国のインフラの老朽化・劣化が問題視されて久しい。ものの時代から人の時代なのだから、大規模インフラは捨ててしまえという暴言を吐く輩がマスコミに現れるが、小生はそうは思わない。適度な国土強靭化による国の安らかさというものは確保されねばならないと考えている。あくまでも小生が考えているというだけだが、適切な修繕は絶対に必要である。

年度末になると、各所で掘り起しが始まり、想定外の渋滞に出会う。コロナウイルス蔓延によって移動する人が減っているからか、渋滞の規模は小さいような気もするが、逃げ場のない中央高速道路の集中工事などに出会おうものなら悲劇である。新東名が出来て本当に良かったと思う。これがインフラなのだなと実感するわけだ。

そのインフラも活用する社会が無ければ意味は無く、その社会を構成するのは人なのだから、人の健康状態が維持されなければインフラは何の役にも立たない。鶏・卵で医療に掛かる物資が輸送できなければ健康は保たれず、だからインフラ整備なのだという意見も正しい。正しいだけに難しい。どちらも正しい選択肢状態の解決を手助けしてくれるのが高度情報通信と巨大データのAIによる処理であろう。

人間の神経伝達速度並みの情報伝達速度・量が期待される6G技術開発にもっと真剣に取り組むべきだし、人の健康情報獲得とインフラ情報獲得も並行して行われるべきだ。情報収集と対話によって平和はもたらされるべきだが、石があったら投げたくなる人類同士の対話の前提に、何らかの道具立ても今のところ必要なのかもしれない。話が大きくなり過ぎたが、我が国の国会のやり取りの稚拙さが嫌になる。そんな日々だ。