旅は自らの自由時間で構成される、生きていることを自らの為だけに費やすことが出来る贅沢な行為だ。傷心を癒すのでも良し、脳のリフレッシュでも良し、何でも良しの自分イベントなのだが、ここ、十数年、気ままな山行すら出来ておらず、仕事以外の一人での移動など無い。恐らく、そんな時は二度と獲得出来ないのではないかと思っている。特に、コロナ騒ぎではどうしようもない。
インフルエンザで学級閉鎖ということがしばしば新聞紙上で出会う。30人学級中に何%以上の欠席者が出たら学級閉鎖と、目安が文科省から設定値として示されている。今回のコロナ騒動では、その指数よりも遥かに低い罹患率であるにも関わらず、小中高の閉鎖が通達された。春休みが伸びたから旅に出ろと言いたいが、家に閉じこもれと言うお達しだからどうしようもない。
そんな時、身体は拘束されても脳内までは拘束されないのだから、是非とも良書に親しんで欲しいのだ。何をもって良書と言うかは各人の選択の自由にゆだねられるわけだが、出来れば世界の文化に触れるような読書をして欲しいとは思う。MITのMicroMastersプログラムなどに触れるのもお勧めだ。これなどを眺めていると、海外を目指す学生ばかりになって、日本国内の大学への進学率がゼロになるのではと思ってしまう。まぁ、それはそれで良い。
3月になると大きな旅行バッグを引っ提げた人達を多く見かけるようになるはずなのだが、明らかに減っている。経済活動が停滞する時だからこそ、脳の貯蓄を増やすべきだ。これこそが人間の本質的な活動であって、AIとロボットが人間の仕事を代替してくれた社会に対する予行演習であろう。どうせなら一般民間人も含めて昨年の大型連休並みの赤日にして欲しいと願ってしまう。怠惰な意識に歯止めは無い。苦笑いである。