趣味

ふと思うと、趣味に割く時間を殆ど持っていない。唯一、読書という点においては、数分ではあるが断片に取り付き、活力補填に役立っている?と思う。これが趣味ですと胸を張って言えるものって本当に自分は持っているだろうかと、なんだか自信が無くなってきた。無くなってきたのであればこれ幸い、今一度、清算してみるのがよろしい。と言う事で、懸命に教員居室の断捨離を始めた。

定年退職された先生からお話を伺ったことがあるが、「後継者に全部任せた」という最大限に無責任とも感じるパターンと、半年、リヤカーでゴミ置き場を往復したというお話まで、スペクトルの広いご回答を賜った。研究においても趣味と実益があるわけで、論文になった研究テーマは、まぁ、実益の部分だろうし、そうでは無い部分は趣味なのであろうと思うのだが、引っ掻き回して出てくるノートやOHPシートを眺めていると、それが実感できるのである。

しかしながら、記憶に刻まれ、多くの文献を読み、書物を買い漁ったテーマは、かなり趣味寄りであって、そっち方面の書物は今後も読み深めてみたいと感じて捨てられないのだ。論文にしてしまったものは完結したものであって、まぁ、もう良いかなと分切れるのだ。研究室にやってくる学生諸君に活用して頂きたい書物は、共通の書庫に贈るわけだが、それとていずれ場所を塞ぐゴミになるわけだから最小限で無ければならない。後世につけを回してはならない。

電磁波と物質との相互作用ということが小生のテーマの骨格にあるわけだが、今も、「これを成し遂げたい」という強い想いがあるテーマに対して、どのように取り組むかを考えながら、書物の配列を変えている。考えてみれば残り時間は極わずかだ。自分の為に費やす時はほぼ無い状況において、それでもしみったれて学理にしがみ付く。笑われようが何をされようがそんなもんだ。それが趣味だ。実益になればそれに越したことは無いが、時間との闘いである。