しなやかに生きること

日本の教育現場はどちらかと言うと知識や技能の習得と、それを再生する人間を育ててきたような気がする。出来るだけ早く、効率的にゴールに到達するかの競争を強いる。結果、プロセスよりも結果を評価するようになる。一本道で脇道無し。ひたすらに盲進する。

不安定で不確実な現実を思うと、今ある情報を処理する能力よりも、思考や判断を伴う情報編集能力が求められる。自らの意思を盛り込んでいく。即ち、知識や技能の活用をしなければならず、複雑で曖昧な情報から進む方向を決める勇気が必要だ。

リアルタイムというよりも、予測と賭けも必要だ。「今までこうだから、次もこうする」となりがちなのだが、次があるとは限らない世の中だ。コロナ騒動を見ても明らかで、恐らくは地球上に蔓延しているウイルスと共存共栄していくことになるのだろうが、来週、現状がどうなっているかなど誰にも分らない。

科学技術の進歩が著しくとも、突然、パソコンが無くなったりはしないし、自動車が空を飛び回るということはない。しかし、電話交換手の仕事はほぼ壊滅した。長い目で見ると消える職業がある一方、新しく生まれるものもある。頑なよりもしなやかに生きる。スマートである。