目的と手段

そもそも論として、今更のデジタルトランスフォーメーションの論議である。IoTで数値をかき集め、AIで幸せになれるに違いないという幻想に踊らされ、リアルなものづくりから離れていく様は、大風の中、落ち葉を箒ではく姿を見るようだ。どうありたい、どうなりたいというビジョンを持たず、単にデジタル化しましょうと言っても明るいゴールは無かろう。

根性論で、「社長の決断が必要です」なぁんて文字が躍るハウツー冊子がお偉いさんの団体から出されているのを見て、溜息と失笑しか出てこない。そりゃぁデジタル化しないよりはした方がなんぼか良いでしょうよ。ただ、本当になりたい姿を描かないでデジタル化するのか?

昨日、とあるお役所に、開所時間前から飛び込んで顰蹙を買ったわけだが、だぁっと並ぶ方々を見て、「ビジョンがありますか?」と尋ねて歩いてみたくなった。なったが止めた。恐らくそれは無い。無いからそこに居らっしゃるのだろう。明日は我が身である。日本の縮図の中に閉じ込められてはならない。

会議の調整すら紙ベースだったり、メールでの確認だったり。2か月分の空き時間の予定を教えてくれなんてところも未だにざらである。いちいち〇×を付けている時間のなんと無駄な事か。トランスフォーメーションの先に何が見えているのか。今をしのぐことが目的ではない。手段と目的を置き換えてしまうことの何と多い事か。結論と因果を混同する輩の何と多い事か。ツールに踊らされてはならない。そう思う。