気の緩み

「我慢して欲しい」という依頼から始まって、「宣言だ」という弱い命令に代わり、「解除する」と気を抜かせておいて、「油断するな」と脅しをかける。様々な仕事をすることが許されて、それに対して税金を収めている。その許可に対して「締め付け」をしておきながら、税金の変換には極めて困難な道を用意して「道を開いたから言うことを聞け」という。難行苦行に耐えきれなかった企業から雇用解除、倒産と流れが出来ている。「気を緩めるな」という号令が余りにも虚しい。解除したんだから。

何度も書かせて頂いたのだけれど、そもそもバブルという絵に描いた餅で、食べきれないご馳走を体験した方々が大勢いらっしゃって、今もそれを求めて経済復興などと言う。国民が税金を納付して、国民の安全が守られて、それ故に頑張れるというのが国の基本ではないのか?最低限で良いのだ。その最低限すら無い状況になっている。恐らくなのだけれど、今回の在宅勤務という形態で「回る」社会を体験してしまったので、むしろ、これを基軸に歩みを進めたいと願う大衆があって良い。パソコンの画面など、自宅も職場も同じである。組織にネットワークを整える能力があるかが重要ポイントだが、多くの体験もディスプレイを通じて実現出来ることに納得しないといけない。

航空機パイロット養成など、地上でのシミュレーションで散々墜落しているから、実機訓練で落ちないだけのことだ。むしろ、実際の実験は複数回こなすことは困難だし、何故それがそうなるのかという原理と共に、何故、その装置の材質、仕上げ、組み合わせがベストなのかなどはシミュレーショで宜しい。そこにこそ時間を掛けて学ぶことで、現場での機転が効く人を育てるのだと、このコロナ禍時代で骨身にしみた。この状況を安易に戻してはならない。単に職場に居るから仕事をしているとの思いは、幻影であると認識しなければならない。

某D社が数千億円のリコールを出した。1個2000円の燃料ポンプに対して6万円の賠償金を支払うこととなった。世界中で340万台(もっと超えるとも言われているが?)正確な情報は伝わっていないが、燃料と材料との反応が云々という不確実な噂なのだが、それこそ、座学でみっちり身につけられる範囲である。燃料ポンプに関しては散々自慢話を聞いた。その結果がこれである。ものが持つべき本来の能力を形にする、技術の価値化が現場意識に無かったということだ。形を丁寧に作るだけでは駄目なのだ。素性を知り、価値を生む場を探し、そして技術を価値に転換する。気を緩めているのはコロナ禍の前からだろう。そんなところだ。