10号に想う

久し振りに強烈な風と猛烈な雨を体験した。一晩中、雨戸を叩く風に慣れない時間を過ごすことになったが、罹災された地域の皆様からすれば些細な出来事と、自然の猛威の恐ろしさに改めて身を引き締めるのである。油断などするはずもなく、警戒を怠らなかったとしても、自然はそれよりも遥かに大きな力を持って人間を押さえつけてくる。それが本来の自然との対話ということなのであろう。

太陽のエネルギーと地球の自転の力、水分を含んだ大気の力、様々な合力に人間とその創造物が勝てるはずもなく、逃げるが勝ち以外の選択は無い。この10号に関して言えば、気象庁の異例とも言える早期のアナウンスに、これまた異例と感じた多くの方々の早期避難に思わず素晴らしいと頷いた。そう、それしか無いのである。そもそも台風にどうやって立ち向かうのか。あり得ない話である。

ところで、災害に強い都市とか、ダムを沢山造ろうとか、今回のような大災害の後にマスコミが騒ぎ立てるのだが、最早、温暖化前の対策というか、この程度で大丈夫であろうという概念は捨て去るしかなく、そうかと言って、巨大な堤防、ダムを造るというのもどうなのだろう。防潮堤を嵩上げしようとか様々な事が言われるのだが、そもそもそこに住んではいけないのではというところに、余りにも大勢が暮らしていらっしゃるということではなかろうか。

大昔の神社が鎮座されている。古墳が残っている。それは無数の災害を乗り越えて残ってきたということだ。その土地のあり様、気候風土との関係を、首を垂れて学び直しては如何か。アスファルト道路の下も空洞化が進んで、陥没の危険が迫っている個所が1万個所以上あると聞く。「安心」して暮らせる街に住んでいると信じたいのにそれがままならない。今の日本はそんなところだろう。