リアルに転換を

1991年という、バブルが弾けていよいよ日本の国にお金が無くなり始めるから、お荷物の国立大学を、設置基準から見直そうぜって、国立大学にとっての大転換年があったわけです。給料なんてどん底で、その年に教員に手を挙げる奴の顔が見たいと言われたほど。悪かったなと言いたいが、まぁ、過去のお話だからね。今だからわかるのだけど、若手のご当人には解る筈もない。

2004年になっていよいよ法人化がスタートしたわけです。その前にはどっかに吸収されるとか、いろんなお話が出てきていて、結局、単独で行くって何度も挑戦の道を選んできたわけです。ただ、ここには甘えがあって、文部科学省という財源団体がいらっしゃるから大丈夫みたいな甘えがあったのではないかしら?大切なのは大学が突如無くなっても、そこに居る学生さん達にはちゃんと卒業認定が与えられる仕組みがあること。大学そのものは経営破綻したから、何処かに吸収されるか解体されるかなのでしょうね。

企業などは明快で、潰れてしまったら、その時の経営者の方針が間違っていたから即刻退職金無しで解雇、沈没させたのはリーダーの責任は大きいけれど、そこで稼ぎが悪かった人達にも平等に責任があって、まぁ、若干の退職金込みで解雇。その覚悟が必要なんだと思います。だからこそ、大きな転換点がやってきた今は大変革のチャンスなんですよ。そこそこも上手くいっていない社会だからこそ、イノベーションに寄与できる大学は変わるべき。

大学院が一本化したとか、凄い改革なのだけれど、それによって横断的新分野が走り出したかと言えば決してそんなことはない。箱が変わっても中身が一緒ではね、それは改革とは言えない。一斉に同じ状況に陥っているわけです。傷をなめている場合ではない。その筈です。