ものづくり

コロナ禍のお話はもうやめようかなと思ってはいたのですが、やっぱり何かしら出てきてしまいます。3月になって愛知県で緊急事態宣言が解除されたなんてことは、もう人心に届いていないのではなかろうか?そりゃぁ、のれんをくぐったのはいつだったっけなってなもんで、もう行かないのではなぁんて思ったりもする。まぁ、それはどうでもよろしくて、海外からのお買い物が全く届かないというお話。

昨年のクリスマスまでに届いているはずであったものが一向に届かない。遅れていると連絡をしてくれる奇特なショップは良いのですが、まぁ、もう、諦めようかななんて思ったりするところもあったりして。本当に欲しいと思っているから注文をしているわけで、遅れようが手元に届いてくれさえすれば良いのですよ。部品が集まらず製造が滞っているらしいが、まぁ、それはそうでしょうね。デジタル化されていなくて、現場作業が入らざるを得ないものは、ちょうど端境期なのでしょう。想い出にはなりますな。

国産に回帰するかってことなのですが、そりゃぁ、琴線に触れるような商品が提案されれば「クリック」するかもしれないけど、百万年前の企画商品ではね、気持ちはピクリとも動かない。つまらないことこの上ない。古本を漁っては読み耽るという健全な状況が続いていて、活字に溺れたい気持ちだけは満たされていますな。

既に3月の声が聞こえてきた。つまらない正月から既に丸2ヶ月が過ぎた。どれだけの回数のWeb会議があっただろう。出張していたのでは不可能な数の会議に参加していることは確かだ。精神的疲労は凄まじいが、肉体的にはそれ程でもない。これで良いのだ、多分。時間の巻き戻しだけはごめんだね。ものづくりのリズムもアフターコロナに為っていくだろう。ますます、琴線に触れないものづくりのあり方にしがみつく企業は消えていくんでしょうね。仕方がない、意識を入れ替えないといけない。本来は変わっていなければならなかったのにね。それだけだろう。