花向け

花向けの言葉という事でもないのだが、研究室を卒業する諸君に一言述べさせて頂いた。オンラインゼミでの掛け声であるのだが、これも新しい在り方である。組織の改革ではなく意識の改革の時代である。学ぶ場、コミュニケーションの場を奪ったのはけしからんと大学を一方的に攻め立てる世間である。この世間というのは正しいのかと思った次第。

SNSで噂が立ってとんでもない方向に進んでいくのは、世界にあまたあるわけだ。勿論、その結果、留飲を下げたという事も多い。一方で、作られた世論が暴走していくこともある。その時、例えば、政府よりもマスコミにあおられた一部の世論が強くなるわけだ。何故強くなれるか。発言に『責任が一切無い』からだ。これは正しいのか。一方的な言葉の暴力では無いのか。

マスコミも煽ることに責任など取らないから、被害者が生産されて、それをもって話が収束していく。その繰り返しでは無いか。少なくとも研究室の卒業生への花向けであるから、小生の人生哲学を述べることになるのだが、これとて、高々数十年の経験の積分値から得た教訓であって、これからの時代の正解では無いから、適当な世論と同じでは無いかと、そんな言い方も出来るし、マスコミもそうだそうだと煽るであろう。

ただ、実際の経験があるのだ。数限りない体験から得た教訓は、伝えても良いのだと思う。数学的に美しい回答があるわけでは無い。しかし、歯の食いしばりと血の滲みから到達した信念、理念である。真理では無いが哲学である。それを語って何が悪いか!と叫んでみても仕方がない。大したことでは無い。ただ、ここまでこの世界で生きてこられたということだけだ。これから頑張って頂きたい。それだけのことだ。