物語力ということなのだろう。ハッピーエンドからストーリーを組み立てる。研究論文は正にそれでありまして、だらだらと行った実験を話し続ける愚。ハラハラドキドキは映画だけで良くて、報告においては結論を言ってもらって、そこへの筋道を示して頂ければ良い。その際に重要なのが物語である。
聞き手の感性を刺激して、言ったこと以上に感動して頂く。それが物語力の真骨頂である。最近の政治家殿には全く無いのが残念で、これが国民の政治離れに繋がっているのだろうと思う。飾る必要は無い。真理を見出せとまで言わない。真実が何を換えてくれるのか、それを語れば良いのだ。
ガバナンスだとかステークホルダなど、横文字が踊りまくる。レジリエンスなどに至っては、日本語知らないのかと言いたくなる。一言でいえばといえばと仰るが、比喩力も無いのですね。結局のところ負の感情が創り出す場を堂々巡りする。出口が無い論争が得意な人に物語など求めるべくもない。
企画力が無いとかなんだとか、ビジネス書には文字が躍るが、説得の無いところに共感は無いし、刺激も頂けない。潜在的欲求を引き出してくれることなど期待できない。そんな人とお話をさせて頂く時間は残っていない。人生あとわずか。大切に過ごさねばと思うが、結局のところやっぱり自らの挫折しか成長の糧は無い。そんなものなのだと達観する。