神は直線を作らない。人間の目で見て、点と点を最短で結ぶと直線になる。獣道は決してまっすぐでは無い。獣は木の根を踏まないから、必然、曲がりくねった道になる。海から隆起してほぼ平坦な大地に雨が降る。隆起に従って溜まった水は海に流れ、川になる。断層に沿った川の場合、直線になるが、それは余程の事で滅多に現れない。直線こそ人類が到達した奢り高ぶった結果に得た社会的秩序であろう。
山を歩くには最も安定な尾根を歩く。雨の削り残しの尾根であるから、これは滅多に直線という状況にはならない。曲がりくねった尾根であっても、ひたすら前に進んでいけば、もしも断崖絶壁にあたらなければ、遠くに見えていた頂上に辿り着く。それを工学技術によって直線的に結び付け、これまた工学的に作り出した自動車という道具を使いやすいように創り込み、いよいよもって直線道路、そしてそこに並行して並び立つ家屋の世界を作り出した。それが文明というならそれはそうかもしれない。多くの文明社会において四角い町割りが好まれて使われている。
縄文時代ですら直線的な大路が創られていたことが発掘によって明らかになっている。神に出来ないことを人類が成し遂げたと思ってはいけないのだと思うのだが、今、我が国の政治は正に短絡的な進み方をしていると感じる。ネットワークを通じて人にとって便利な道具の出現を知る。それに追いつく教育を目指すとともに、まずはお金を通じて導入していく。世界と同列を目指すにはそれが手っ取り早い。そうすると外貨と交換できる自国通貨を作り、それを中核として人の世が出来る。
極めて短絡的な姿と感じる。便利を追求することが悪い事とは決して言わない。そもそも小生はオタクであるから、便利な道具は大好きである。一方で、ちまちました不便も大好きである。不便を克服して年始を迎える極地がおせち料理と考える。保存食の位置づけではあるがいちいち縁起に結び付ける。縁起ものなどは直線とは全く相いれない。心の作用であって、迷うから太くなり深くなる。ゆっくり歩くからこそ文化が見出される。世界が慌てて直線を歩むからこそ太く曲がった道を歩みたい。細ければ迷路だが、太ければ皆が並んで笑って歩ける。一人では文化はならぬ。ましてや文明をや。そう思う。