自分を見ようよ

競争ってガキの頃から煽られて、その中に突っ込まれるわけで、他人と自分を比較して、競争関係に自分を追い込んでしまう。これは競争依存性という感覚なわけだが、この依存度が強くなってくると、社会の中において幸せは無くなる。他人が主人公で、自分が常に脇役になるわけだから当然のこと。勝ち組だの負け組だの、組みまで作って進んで負け組に入ったりする様になると、もうこれは御愁傷様と言わざるを得ない。

競争依存はまだマシかもしれない。競い合う元気は残っているからね。それが褒めて欲しいという承認欲求に依存する様になると恐ろしい。人を忖度せずにはいられない。これは哀れな依存症だ。1人で考え事すら出来ない。常に誰かが心の中に居て、その人に認めて欲しいとそればかりを願う。これも正に幸せ放棄であって、生きている理由すら小生には理解出来ない。

他人の問題と自分の問題を混合させて困り果てる奴。人が悩んでいることに腹を立てたり、悔しがったり。他人のやることは他人にしか理解できないわけであって、自分が悩んでもしょうがないけど、それでもやめられない。他人が何をどう思ってもしょうがないじゃない。だって、こっちが全力で頑張っていても、こちらを嫌ってくるような奴のことをムキになってどうすんの?100%の無駄だよね。

褒められなくても、認められなくても、無視をされても、理不尽に怒鳴られても、他人は他人で自分にはアンコントロール。だったら受け流すしか無いんだよね。精一杯の貢献をして自ら幸せと思うしか無いんだって。色々失敗して、後悔の連続にどん底の時だって、精一杯やり抜いたんだったらそれで良しとするしか無いんだって。自分は自分。達観である。