お正月気分で居られるのはいつまでかという永遠の問いかけがあるわけだが、三ヶ日だったり七草粥までだったり、どんど焼きまでだったりと、まぁ、一年中、正月気分というのが一番良いわけで、御めでたい年であって欲しいなと思ったりするわけだ。地球温暖化によって大きな気候変動が生じているのだが、ここで「人類の活動が・・」って括ってしまうのだけど、それって資本家の仕業じゃ無いのって弱者が言っても聞いてはくれない。
結局、その活動に手を貸しているのだから、お前も罪から逃れられないと、いや、逃げようとは思わないけどね、基本、紙と鉛筆で商売している人種であっても、巡り巡って大量生産、大量消費に手を貸すわけだ。デパートで買い物したりね、そんな所に出かけて行くという行為そのものが資産家の地球温暖化を後押ししているわけだなと、山のように入ってくる正月のマーケットのチラシを見て実感したわけだ。小生自身はデパートなどには行かなくなりましたけどね、この二年くらい。
混雑を避けて活動するようになってきたわけで、これはこれで快適なんだけど、例えば国定公園なんてところを車で走ってみても、野山が切り開かれ、インターチェンジから大きな道路が作られて、巨大な工場ができていたりする。住う人の為に宅地も造成されて、自然環境などは木っ端微塵だ。どこに持続可能性という行為が見られるのか?結局のところ、資本家の持続可能性だけが優先されるわけで、自然環境なんというものは、資本家の都合で作り替えられていくわけだね。手付かずの自然林とか言われるところもあるけど、その周囲は人為的環境なのだから、手付かずじゃ無いよね。
何も無いところを探し求めて、資本家の皆さんは宇宙に飛び出して行ったわけで、お金を「何も存在していない空間」に投じて、「存在する」空間に変えて、そこにも資本を得ようとする姿に、まぁ、辟易致しますな。資本が価値を生むと思い続けている。ほんの一部の人が地球環境を破壊して、地球人全てのせいにして資本価値を独り占めにしている。そんな今だからこそ、智慧者とその教育システムが必要なのだ。そんなことを思いつつ、じっと手を見ても何も変わらない。だから頭を働かせて手を動かす。そんな一年にしていこう。