三ヶ日に思う

カーボンニュートラルって実しやかにマスコミも政治家諸氏もそして学者までもが使ってしまう。植物由来のバイオマスエネルギーで資本主義の価値を支えきって、大気中に放出されて温暖化を増進させるCO2は無くなるという奇跡の概念だ。コロナ禍によって大規模エネルギー消費を伴う大型輸送物の稼働が減り、人の移動は減少しているが、ネットワークの稼働、データの膨大化によって、どれだけのエネルギー消費の変化があったのか、正確な値は全く示されていない。

それらしいデータは聞こえてくるのだけれど、何を信用すれば良いのやらというところである。資本主義で経済活動を活発化させようというわけだから、資本のエントロピーを下げて価値化という観点もあるかもしれないが、そんなものに出会ったことはない。社会のエントロピーを増大させ続けるためには、確実にエネルギーは消費されるのだ。その増加するエネルギー分をバイオマスでクリアするのか?

竹という怪物を使えないかと思って、いろんな研究を拝見するのだが、それとて、ある一定以上に伐採して、人間が経済活動に活用できるバイオマスとするためには相当のエネルギーを消費するだろうし、例えば土壌の肥沃さとか自然環境に対してどれだけエネルギーを投入すると、例えば植物はバイオマスとして利活用出来るようになるのだろうか?地球環境が生み出すバイオマス量と人間が経済活動に使いたいエネルギー量とのバランスって、前者が多いのですかね?とてもそうとは思えないのだが。

理想は良いのですよ。こうあるべきだって。産業革命以降のエネルギー消費と経済活動、それに伴う人口爆発を支えようとした時に、化石由来のエネルギーゼロで、今の人口を支えるエネルギー収支が成立し得るのか?余程の知恵の獲得が無いと無理ではないのか?世界中が危機感を煽って、軍事に資本を投資して、その開発こそ技術の進化を加速させるなどと尤もらしく声高に叫ぶ輩も居るのだが、そろそろ資本主義を根本から考え直す必要があるんじゃないのかな?などと思ったりもする正月三ヶ日でありましたな。