アンケート考

苦情では無い希望をアンケートで聞き出すことが出来るのであれば、それは事業をするのであれば、有難い情報となるだろう。しかし、多くの場合、不平不満、俗に『痛み』情報だけが積もり積もって、何の役にも立たない情報の山となることが多い。しかしアンケートのプロと呼ばれる方々の手に掛かれば、ステークホルダから神の声を聞き出すことが出来るのでしょう。そんなお話が耳に入ったわけです。

チャットボットでの対話は愉快ですな。こちらから提供する情報に対して、過去のパターンや、企業の誘引したい方向性で聞き返されてきて、「良く出来ているなぁ」と感心することしかり。アンケートやヒアリングって、聴き手の意識が何処にあるのかを考えてみていると、それだけでも面白い。聴き力はコミュニケーションの肝なわけだけど、うっかりすると聴き手を喜ばせる無意識の忖度が働いてしまい、聴き手に真実を伝えていないことがあるから要注意だ。

「本当はこれを言いたいのだけど」相手を傷つけてしまうとかね、妙な忖度が働いてしまう。忖度をしない人はそれを真に受けてしまって「これで良いのだ」と突っ走る。案外、それはそれでコミュニケーションとしては正解なのかもしれないですけれど、それを「紙面のアンケート」という形で忖度を働かせるって凄い事だと思う。実際のところ、いろんなアンケートを拝見するのだけれど、途中でいやらしさを感じて記載を辞めてしまう場合が多い。

自分自身の考えを纏めるなどと言った時においても、自分の経験値がバイアスになる。真の公平なんてものはあり様がない。有り様が無いから皆で決めましょうと、何となくの正義を感じる手法を人類は採用しているのだろう。結局のところ時代が人を作り、その人達が新しいルールを作っていく流れが、人類が選択するべき方向なのだと思う。それに従いつつも、自分であるべきところは残していく。そんな生き方しか出来そうもない。アンケートは拝聴しますが、まぁ、そんなもんだ。