コロナ禍での入試なんだけど、それは何処で感染したか解らないような状況下だし、誰もが感染する状況にあるのは間違い無いし、他者に感染させる状況の受験者が、同じ受験会場で受験する状況は、周囲への配慮という点では避けなければならないとかね。対策を厳重にしていっても、無症状者が多い状況では感染を防ぎようがない。そいう言う意味では、風邪より質が悪い。ただ、少々の風邪なら受験に来ても、咳き込んだりしていなければ、過去の経験からすると周囲もそれ程気にしない。本人がそこまで頑張って来たんだからということを優先しますな。
ところが今回のコロナ禍での入試に関しては、親方の方からのプッシュが強烈で、まるで「関係していたら辞めます」発現的に突然話が湧いてくるもんだから、もうこれは大変。少なくとも何らかの筆記試験なりを課せれば良いのですが、コロナ禍でチャンスを失わせることの無いようにという一言が、恐ろしい圧力になって組織に負荷を掛けている。データが無いのに論文を受理しろみたいなもんだわな。必死に健康を維持して頑張っている諸君に冷や水を掛けるような気になっている。
そりゃぁ、感染症になったら自宅待機は当然だし、隔離対策も絶対に守るべき。その期間に受験日が当たっていたらそれは悲劇に違いない。しかし、対策を取って、罹患しないようにして、当日を迎えることが可能になっている者も大勢いらっしゃるのだ。その人達の努力を足蹴にしていないか。努力が報われなくて良い筈がない。そう考えるのだ。散々、砂を嚙んで生きてきたからね。
どうしてこうなっちゃうのかなと思うと、失敗できない日本のいやらしい文化が根底にあるかなと思う。常に他人と比較されて生かされて、ちょっと違う考えをするだけで叩かれる。ミスをすれば未来が消える。人間がやることでしょ?失敗するさ。失敗を許す気風の無さが、挑戦を支援しない風土になり、結局、いろんな過剰とも思える反応になる。この国の住みにくさの根底にそんなものがあるのかなと思う次第だ。