タイパ

タイムパフォーマンスを「タイパ」と呼ぶことを新聞で読んだ。恐るべき短縮であり、説明が無いと分からない。曲において、イントロが長いと歌手の歌声に到達するまでに飽きられてか呆れられてか、その両方か解らないが、聴いて頂けないらしい。そんな曲作りが成されているとは恐れ入った。数年前に、技術を紹介するYouTubeビデオを作って公開した時に、情報系のお偉いさんから「そんなに長いものは誰も見ないよ」と言われたことを思い出した。それは単に長さの指摘であったのだが、いわゆる「サビ」がいきなり飛び出してこないと食いついてくれないという事だろう。

食料品のマーケットにおいてもレジ待ちが長い店は敬遠されて、それが短くなる工夫が成されている店の売り上げが伸びているとの事。店側からすれば、お客様が商品を獲得して駐車場の車まで到達する時間を短くさせる工夫が必要だということだ。某国のエリー湖畔にあるジャイアントイーグルなんぞ、ナゴヤドーム4個分くらいある駐車場に停めて、商品を購入しようなんてことは、お若い方々は絶対にしないのだろうなと、「タイパ」を読んで思った次第。

映画も倍速で見るとか。そうなってくると芸術作品の在り方も随分と変わるのでしょうな。直感出来るものが流行ってくる。旅行なんてどうなのでしょう。どこでもドアが無いと旅行しないとかね。まぁ、確かに出張などはそれでも良いが、計画をして、観光地まで行って、そして帰って想い出にふけるまでが旅行なんて考えないのでしょうね。GoToキャンペーンを使っている年齢層を知りたいものだ。価値の獲得までの時間を如何に短縮するかが、購買行動に繋がっていそうな気はするが、それって楽しいのか?

良品廉価納期短縮は自動車業界のキャッチフレーズではあるが、そうやって汗水たらして働いて作ったものが、あくせくあくせくと使われて、直ぐに飽きられて中古マーケットに売却されて、どんどんと値崩れしていく様を見たら、どうなのだろうとなんだか虚しくなってしまった。そんなことを思いながら、自分で書いた会議のト書きを見たら、ちゃんと「概要を述べますと」と20秒で何を話すかを語ろうとしている。短縮イントロは人の有り様の縮図だったのだなと思う反面、思うような曲を書けないアーティストは大変だなと、恐らくだけど、そんな話に左右されずに、自らの主張をきっちりと通す本物だけが残るのだろうと、短縮行動は自らの旬を短くしているだけなのだろうと、「タイパ」を眺めて苦笑いする私であります。