閻魔帳に思う

義理と人情を測りに掛けりゃ義理が重たいなんとかよという歌がありましたな。この義理も人情も大切にしてきたのが、日本の経営の根本だったと思うのですよ。弥生時代に「みんなで田植え、そして収穫」って登呂遺跡を拝見して、凄いものだなと感心したことを思い出す。病気になって寝込んだり、怪我で田植えに参加できない人も居たでしょう。それでも運命共同体として一緒に暮らしていたのでしょうと「勝手に」想像している。実際のところどうだったのか解らないけれど、労働力は貴重だったはずで、仲間外れをしている余裕は無かっただろう。

DX云々は当然の状態であって、それからはるか遠くにある日本の現状をバランスボールの上で大臣殿がどう思っているのか知らないが、AIが活用できるデータを創り出す体制にとっととなって頂きたいと思うのだ。円安がどんな影響を及ぼすか、世界の経済学者は日本に警鐘を鳴らしているのに、日本国内からはそんな悲痛な声は聞こえないし、大略5%未満の企業は円安万歳なんだけど、そう思っているアンケート結果の公表なんか無いしね。これからどうしようという時に、データが無い国。う~んである。

で、義理と人情のお話がここに出てくるのだけれど、当然の事ながら経営と言う観点においてもDXは正しい状態であるべきだ。こんなことを言うと義理も人情も無い奴と言われそうだが、組織全体を潰してしまったら、それこそ義理も果たせない薄情者となるわけで、そうならないようにするために、様々な観点からの情報が欲しいと願うわけだ。いろんなアナログな声が飛んでくるわけで、それはそれで正しいわけだが、それを異なる視点の客観データで比較検討すると「そうでもないな」となったりすることもある。勿論、ごめんなさいということもある。容易では無いのだ。何せ原資が限られているしね。

それとあからさまなジョブ型雇用としているわけではないというのも、デジタル的人物評価が難しいということになりますな。とは言うものの、人情で押してこられることを「はいそうですか」とは言えない現状ではある。その昔は「声がでかい人」、「根回しが激しい人」の意見が通っていたわけですが、今の時代はそれをやると間違いなく組織が崩壊しますからね。組織の人の幸せを願うわけだけれど、それを獲得することの難しさである。鳥の目、魚の目、虫の目とは良く言ったものだと、なかなか到達できない境地だなとDXに頼りたくなる自分に苦笑いである。