火中の栗を拾う

円安がどんどこ進んでいて、オリンピックも賄賂まみれで、我が国の品位もどんどん落ちる。英国の故女王陛下の国葬に並列させて、国内で反対意見も大きい中で強行しようとするとかね。それまでにコロナのカウントは極力減らし、病人だらけだけど安心な国とか言うのだろうなぁ。ものづくり地域と言っているけれど、EV化によって使わない技術がどんどんと出てくる。国内の人口が減るわけだから内需は期待できなくなるわけで、それでは国外に販売できるものづくりが出来るのかと言えば、出来るのだろうけど、安く見積もられている国の製品を買いたいと思うかしら?

安かろう良かろうの時代では無い。海外では給料がそれなりに出されているから、高くても買えるから良いものを買うということが世界の趨勢だが、我が国では安かろう良かろうが延々と続く。意識の高い生産者は当然の事ながら、フェアトレードして頂ける国に良いものを送り出している。この国に残ったものが安く買えるということは、要するにそれなりの出がらししか残っていない国と言うことだ。その流れを断ち切らねばならない。

簡単では無い。従前のピラミッド型ものづくり社会においては、価値あるものの図面が降りてきて、それを求められる材料で三次元化し、どんどん川下に流していくわけだ。利益と製品を川下に流していって、与えられるのは次の図面である。そこには挑戦と言う考え方は全く無い。図面が与えられる間は危ない橋を渡らない。渡らないうちに、橋が落ちていることに気が付いたら、はい、それまでである。誰も助けてはくれないね。

敢えて火中の栗を拾わねばならない。弾けるかもしれない、それはリスクだが、弾けたら中から美味しい栗の実が出てくるわけだ。リスクもあるけど美味しさも出てくる。拾わなければ何も無い。栗を拾えないのは、拾ってもどうしたら良いのか分からないからだ。どうすれば良いのか分からないという状態にあったら、そこからオープンイノベーション、大学に駆け込むのが宜しい。その時に勘違いをしてはいけなのは、自らに知恵を付けようとするなら、ゼロ円と思ってはいけない。知恵をリスペクトする方には開かれた大学である。お越しください。