夜明け前に出立して、えっちらほっちら、自転車を漕いで13kmの道のりを通う。その間、路面状態に気を配る時間が長くなってきた。暗闇というだけではなく、そろそろマンホールの蓋が凍るかなという恐怖の時期でもある。その闇の中、物凄い月が西の空に見えた時、夏空よりも名月だなと思うのだ。丁度、満月に近いのだろう、冬の月にもちゃんと兎が居て餅をついている。正月を迎える支度をしなさいと言われているようだ。こんな景色に出会えるのも自転車通勤の醍醐味かもしれない。まぁ、そんな時間に自転車を漕いでいるのも変かもしれないが。
ずっと変わらぬ行動である。この距離の自転車移動になったのは、まぁ、とあるきっかけではあるが、15年以上も続いている。雨の日は流石に厳しいので地下鉄に頼るわけだが、極力、身体を動かし続けようと思っている。弱るのは足からと言うわけで、自転車くらいの運動が丁度良い。山坂あるからそれなりのトレーニングにはなる。建物の階段を使えとは良く言われるのだが、勿論、それはそうすることも多いのだが、それよりも小一時間の旅が宜しい。サイクリング小僧がそのまま継続しているというわけだ。
明け方の気温が5度程度になってくると、そろそろ顔が冷たくなってくるのだが、マスクをしているのでこれはとても暖かい。マスクをするようになって自転車通勤中に鼻水や咳が出なくなっていることに驚く。街中を走る不快感が無くなっているのだ。長距離だからこそ実感できるのだと思うが、コロナ禍によって、マスクをしていても白い目で見られない状況は極めて痛快である。裏を返せば、それまでの間、体に煤煙を取り込み続けてきたということだ。自動車産業が果たした役割は、便利と引き換えに、人間だけに限らず、全てのものに有害な物質を提供したと言う事だ。
自転車通勤と言う行動が健康に良いのかどうかは解らない。マスクをしていても防ぎきれない毒物は体内に入る。地下鉄などでサリンに被爆するということも無いわけではないが、普段はそれは意識していない。そんなことに目くじらを立てるのであれば、山中で独りで生きるしかなくなる。それが出来ないのだから、どこかで折り合いを付けねばならぬ。一つ言えることは、身体を動かしていると、実際のところ調子が良い。それは間違いない。だからこの生活を変えるつもりはない。変える必要も無い。変えなくても良いものはそのままで良い。出来る範囲の運動をやり続ける。それだけのことだ。