地下鉄の駅から地上にでて、数歩歩いたら突然目の前が明るくなった。この季節の楽しみは朝日を浴びることだ。夏真っ盛りの季節は朝日どころでは無いが、この季節だからこそ、太陽が有難い。真冬になると太陽に出会うことなく職場に着いて、そして宿舎に戻ってしまう。太陽と向かい合うのは今の季節かなぁと、しみじみと感じる。春も同様と思うだろうが、春は桜に眼が行って太陽を拝む気分になれない。
実際のところ、太陽からのエネルギーは凄まじくというか、太陽の熱と光のエネルギーが無ければ、我々生命は生まれなかったのではなかろうか?なかろうかと疑問符付きなのは、ひょっとしたら真っ暗闇の中でも生きている深海生物だって居るわけだから、眼の無い生き物として存在しているかもしれなかったからだ。断定はできないが、太陽は有難い。
光も影も太陽があったればこそ。絶対的な存在があることは有り難い。何が有難いって、それより偉大なものがないと思うと、なんだか安心するではないか。選挙の時だけ国民のふりをする政治家諸氏を拝む者もあるようだが、天に唾する者に一票を投じるなど愚の骨頂。しかしながら、国民として選挙には行かねばならないし、誰かに代表になって頂いて、国家を引っ張って頂かねばならぬ。
真夏でも真冬でも、晴れた空を見上げて思う。太陽は偉い。ぐわっとエネルギーを我々に与えてくれているのに、見返りをよこせとは決して言わない。どんなにエネルギーを与えても知らぬ顔。外連味も無い。気合入っているなと朝日を見上げて思う。そういう人に私はなりたい。