産学官金屋

サイエンスとお付き合いをしていると、時々、それが工学という学問分野に化ける時がある。もちろん、そのサイエンスは工学分野だけではなく、農学だったり経済学だったりにも関わるかもしれないネタなのだが、誰かが何かを達成するためにその工学を用いると、パッケージ化されて他律機能を発現して技術となることがある。産学連携って何をしているかと言うと、経済活動者に技術をもって金儲けをして頂くために、工学を当てはめていく活動だ。

人工の鼻というセンサがあって、それは人がどのような香りをどのように感じているかというサイエンスを使って実現しているのだが、その面白さは鼻を実現したことではなく、新たな香りを作り出せるところにある。鼻だけでは、アロマの研究を行っている会社は人を雇えば良いのだが、香りを造って金儲けをしようとするのであれば、定量的に香りと分子を結び付けなければならず、そこにセンサが登場するわけだ。

サイエンス研究の楽しさはこのように化けることにある。ただ、サイエンスへのたどり着き方が、研究者の師匠がやっていたからその道に入ったという場合には、金儲け屋がやってこないと、そのサイエンスは論文化されて同業者の納得を得られて終焉を迎えるわけだ。一方、こんなことで人を笑顔にしたいというビジョンからサイエンスにたどり着いた人は、自らの研究人生と人の笑顔を直結させられて幸せと言ってよかろう。

工学という技術化されて社会の課題を解決したり、課題を造ったりする分野においては、様々な適応分野があることを自ら閉ざしてはならない。それと経済活動に工学を使おうという企業は、思ったより金が掛かるから辞めたとかね、簡単に投げ出さないで頂きたい。研究者はそんな下世話な輩のために時間を無駄にしたくないのだ。研究者に無駄な時間を使わせないことも産学連携に関わる人間の務めである。