船頭が多くなったらどうなるのかというお話があるが、リアルな船で船頭が沢山居るという経験は無い。無いから船は山に登らないから安心だ。丘の上での会議のお話。ここでのお話は船頭だと思っていたら会議の議長だったという落としどころ。しかも議長だと思ったらそうではなかったということで、誰もどこに居るのか分からない体験をした。
兎に角いろいろ震源地から湧いてくるのだ。屁と火事は元から騒ぎ出すの例えのとおりかもしれない。しかし、今回はちょっと違って、震源地が複数個存在するのだ。そして気が付いたら自らも震源地の役割の担当者になっていた。いや、気が付かないところでなっていたとするのが正しい。
誰もゴールを知らないどころか、何故、その場に居合わせているのかも知らない。だから船頭は沢山居てもどこにも行きようが無いという状況は凄まじい。震源地すらどこだか分からない。恐らくこの辺りであろうというレベル感で、皆が疑心暗鬼になって会議を進めている。いや、進めていることが分かった。
何となくだが、こんなことを議論するべきなのだろうなということしか分からない。だから分かったことにはなっていは居ないのだが、誰もゴールを知らない、次の一手も分からないということを共有することの愉快さを知った。時にはこんな経験も良かろう?とあるところで経験した、貴重な出来事であった。解決手法は各自が思っていることを共有すること。共創のきっかけはそんなところにあるのだね。