引退勧告

何と言うか、当たり前なんだけど、研究者は「新しい!」ことを追い求め、産業者は利益を追求する。どちらも間違っていなくて、それぞれの役割だから当然の思考であり、そうでなければならない。困ったことが起こるのは、暴走する研究者が学生を巻き込んで「これは凄いんだ!直ぐにでも社会に実装されてみんなは有名になる」みたいな魔法をかけてしまうこと。醒めれば悪夢だったということなんだけどね。未だにそんな研究者は多い。

まぁ、そんなことも学生諸君にとっては生涯の宝物になるかもしれない。「そんなものなんだなぁ」と、反面教師にしてくれれば良いのだけどね。それと「新しい!」を追い求める夢は捨ててはならない。ひょっとすると学生時代では「他の技術が追い付いてこなかったから使われない要素技術だった」というだけで、何年後かには使える要素技術となっているかもしれないのだから。売れるために新奇を追い求めるだけでは夢も希望も無い社会を作っているだけだからね。

嫌らしいのは発明者が自分で応用先を思いつけないから、誰かから聞き出そうとしたりね。そんな人々からどんどこ逃げているのだが逃げきれないで、未だに嫌な思いをする。これは自分が弱すぎるからなんだけどね。どんどんと図々しいというか、良い人を辞めようと思っているので、これが最後と切りまくってはいるものの、ヒルのごとき病魔を断ち切りきるのはなかなか難しい。

これは素晴らしい!というものには条件、即ち活用される環境に縛りが生じる。その縛りがいったい何なのかが理解できない人が学者をやっていてはいかんと思う。AIだの、電脳がサポートをしてくれる時代なのだから、どんどこそれらを使っていくのが宜しい。大切なのはビジョンを自分で描けるかということなんだけどね。「自分が」を主語とするストーリーを描けない人は学者をやっては駄目。時代は大きく動いている。気付きなさいよ。