討論すべし

いろんなところにいろんな意見があって、それをこうしたい、ああしたいと、討論することは正しい姿である。それが私利私欲の実現でなければ。こうあるべきだとか、自分はあいつが気に入らないから政治力を使って足をひっぱってやろうとかね、まぁ、よくある事なんだけど、そんなことをやっている輩は、いずれ自分に戻ってくることを知らないのだろう。地道に勝るものは無いと思うんだけどね。

政治家殿に言われることだが、落選したらただの人なんて言うのが最も辟易する。当選していてもただの人だ。ただの人であり続けて、天下国家のことを考えるのがその役割なんだけど、次の当選の為にお金を撒いてくれたりね、そんな人達に隙を作ってしまうとさぁ大変。その呪縛から抜け出せなくなって、金の為に活動するようになる。極めて醜い世界である。まぁ、聖人の世界にもお布施なんて言う綺麗な言葉でお金を回したりするんだけどね。いずこも同じ秋の夕暮れですよ。

ちょこっとTVで夫婦別姓の話題を聞いたのだが、それこそ当事者の勝手だろうなと思うのだ。それを政治や宗教の道具にして、醜い争いを何時まで続けているのやら。諸外国ではとっくに解決されているネタであり、そんなものにいつまでもしがみついている様は滑稽である。確率論的なお話で、このままだと国民全員が佐藤さんになるというお話なんだけど、それこそおぞましい。

何か古くからあるルールは、生活をしていく上でその時代において必要だったから生まれたに違いない。だから。何か新しい提案があったならば古きを訪ねて、世界情勢はもう違ってきているよねと、近未来を起点にどうあるべきかを議論して、変えていけば宜しい。戦争しましょうなんて言う改憲などは議論しなくとも良いが、人が人であることに関して、頭を柔らかくする時代なんだけどね。聴いていて寂しくなるような議論しか聞こえてこない現状が嘆かわしい。そう思う。