「成長」という単語がある。glow up だったり、developだったり。matureは自分には永遠に到達し得ない状況なんだけど、する気もない。フォアキャスティング思考的にはexpandもありだし、progressもあり。同じようにimproveやadvanceなんてのも地道で良い。ダーウィン的にはevolveが時が物事を進めていくということがふさわしかろう。でも多くの大学人がmake stridesで同一分野で天狗になって威張り散らせることで成長を具現化してしまう。
周りをdrag downさせて、自らは堕落しているのに、成長したように見せかける輩が最も醜い。しかし、これが結構な数、いらっしゃることに耐えがたいというか、耐える気が無くなった。里山を歩いて深山に入るわけだが、間伐された切り株をじっと眺めてみると、育って伐採された株の年輪よりも、明らかに年輪間隔が狭い。じっくりと根を張って、日陰を耐えながら一歩一歩進もうとしていると、無能と捉えられて一生を終える。
鏡を見ているようで辛くなるが、生きるということは辛いことなので、そこは頑張るしか無いわけだ。根こそぎ切り倒そうとする人達も大勢いるし、実際のところ、ぐんぐんと太く大きくなっていく幹により強く育って頂くためには、じわじわと年輪を重ねているような輩は退場するべきなのは当然である。
関東地方で日々、強盗事件が発生している。手っ取り早く金を稼ぐために人の命を奪うわけだ。禁酒法時代の米国映画を見るようで、今、日本はその時代まで到達してきたのかなと感じてしまう。make stridesの段階なのかどうかは分からないが、バックキャスティング思考では無いことは明らかで、drag downが公然と起こりだしたのかとおぞましい。未来を描く者が一歩一歩進めなくなった場からは退場が望ましい。