ブロック塀は悪か?

地震でブロック塀が倒れる。子供の頃、1960年台後半だが、塀は大概ブロックだった記憶がある。お金持ちが生垣で中産階級がブロック塀で、貧乏長屋は塀が無いか板葺きだった・・気がする。今では板葺きは随分とおしゃれな雰囲気だが、当時は、戦後に建ったバラックを分解して出てきた板を再利用していた。住所板が塀に変な向きで付いていたとか、キンチョーの看板がくっついていたりと、ある意味、にぎやかな町並みであった。大阪万博の頃にはそれらの板壁は放火対象になるとかで、下水の整備と共に、これまたブロック塀に変身していった記憶がある。ブロック塀かコンクリートのスレートである。

塀が倒れて小学生が亡くなった。しかもそれが守ってくれるはずの小学校の塀だ。プールの目隠しということで高く積んだのだろうが、その施工において手抜きが見られたことは許しがたい。ブロック塀が悪なのではなく、施工のいい加減さが悪なのだと思う。ブロック塀が全て倒れたわけでは無かろう。機能的で軽量、断熱的にはどうなのか専門家にお任せしたいが、数年で風化するという代物ではなかろう。手抜き工事は常にいかん。そちらを糾弾するべきであって、ブロック塀を悪者にするのは、なんか、視線を逸らしているようでいやらしい。

以前、務めていた大学には塀が無かった。塀を巡らせるほどに小さくなかったということと、まぁ、南軽井沢入口の南東北の片田舎だから、塀なんか無くても関係ないやってなところが本当のところだろう。雑木林にはマムシが沢山居たし、天然の防御壁みたいなものかな。鶴舞大学は城壁に囲まれていて、都会のおどろおどろしさを感じるのだ。閉塞感に満ちている気がする。地方出身者からすると、領域を明確にしていることで、外への防御というよりも内に閉じこもっている気がしてならない。

今朝、地下鉄の駅から路地を巡ってみたが、ブロック塀はいたるところに存在している。東南海地震でどうなることやら。やっぱり吹っ飛ぶのかそれともしっかりと施工されていて、ブロックだって大丈夫さというところを見せてくれるのか。根尾谷断層が出来た時の地震では墓石が同一方向に倒れたという。どちらに揺れるかにも依存するだろう。墓石や塀の近くに、地震時に留まっていてはいけないということだろう。日頃から何処に逃げるべきか。改めて考えさせられる。