ものの価値

社会の変化激しく、研究室の中が開発現場になり、そのままプロダクトアウトしてくる。AIを筆頭にITの世界ではそれが当たり前になっている。工作機械の売り上げが堅調でということで、景気が良いとなっている日本であるが、円高差益とエレクトロニクス産業の活況に引きずられ、何時まで続くのやらと言うところ。業界の方々は2,3年がとこでしょうということなので、まぁそうなのだろう。

工学がどのように発展していくかなど、3年後の予測すら立たない現状ではあるが、マスプロダクトの「マス」が昭和の時代から一桁上がっていることは事実だ。世界中が工場になってものを作っている現状だが、人口減少が世界で顕在化し始める時、その時代で30代の方々の労働環境ってどうなるんだろうなぁと、思いっきり他人の情景ではあるが、想像してみたりして。

バブル直後でも実は作るものはあったのだ。エレクトロニクス機器はその能力を最大化させていたわけでは無いので、小生とて、LSIのフォトレジストを開発する10人程度の町工場に内定は頂けたのだ。世界人口減少が始まる時、知識の終息と選別が始まるだろう。縄文期に向かって真に欲するものだけが残る社会になる。その時に残る道具こそ本物だ。それを見極め、今から150年後に投資するのもなかなかよろしい判断だ。

ものが売れていて、作るものが沢山ある時に、哲学を語っても誰も聴かない。それでも学者だから戯言を言う。自然が人間が住む領域に牙をむき始めているのは明らかだ。恐竜の時代には成されなかった、先住生命を燃やして現世生命の都合に使う暴挙。災害だなんだと言っているが、それは人の価値観であって、地球はそんなことは考えない。丁寧で謙虚が大切だ。それを忘れた人類の終焉は案外近いのかもしれない。そう思う。