残った人生を考えてみると、そろそろ「もうこれは生きている間は用無しだろう」というものが身の回りに散見される。必要な物品までもストイックなまでに捨てまくるのは断捨離というカテゴリなのだろうが、そこまで人生を達観出来ていないので、断捨離などはしない。ただ、無限の速度で増え続ける物品を捨てる・捨てないというふるいにかけて手元に残すと決めたところで「何処に?」という場所の問題が付きまとう。この場所との戦いは切実だ。
基本的にその時に何かの仕事を突破するために揃えてきた物品であるわけだが、社会の進化と共に「それでは対抗できない」、「対抗出来ても時間というコストが掛かり過ぎる」という事態に陥った時に、進化した物品を導入してそれを突破してきたわけだ。そうではない、例えば調理器具などは学生時代に購入したビタクラフト鍋などは代打の登場は恐らく小生が生きている間にはあり得なくて、何かを買い足すことがあったとしても一線から退くことはあり得ない。不要となることは無い。
特にエレクトロニクスの進化は劇的であって、都度都度捨てては来ているのだが、本体は捨てたはずなのに電源が残っているとか、既に何に使ったか忘れてしまったケーブルとかアダプタとか、そんなものはえいやっと消えて頂く。代役が生まれたら消えていく、正に破壊的イノベーションによって現役を退いたものを二度と使うことは無い。想い出はいつかゴミになる。ゴミはゴミの行き場に収まるのが良い。
何かの夏のイベントの度にもらってしまう団扇とかね。やたらと数がある。これなどは特に捨てるという事は無く、BBQの時にジャンじゃか使ってボロボロになったら、そのまま火葬というのが良かろう。ゴミ箱に放り込む類のものはまだ良いのだが、本とかレコードとかは、これはまぁ、そうはいかないのだ。その中でも順序を立ててご退場をお願いしてみたりはするのだが、退場速度よりも入場速度が桁違いに大きく、はてさて、どうしましょうという感じで、地味に毎日1個は何かを捨てようと日々苦慮している私であります。