世界は何処に?

様々な「もの」、「こと」に対して国のお金が投下されているわけですな。川下の企業からこの図面を貰ったから、それを三次元化すれば必ず売れるから装置を買う金をよこせ。これが国の繁栄に繋がってきたのだからそれは否定しない。特に美国に対して追いつき追い越せ、国を挙げて皆で頑張る時代であれば、税金をものづくりに回して、それによって再び税金を得るモデルは何処の国でも経験済みだ。

問題はいつまでそれを続けるのかというところだ。永遠にそれにしがみついて、行き過ぎれば「装置があれば図面が来るから現金を投下してくれ」となってくると話は別だ。それは投資であって、そこに挑戦性が無ければリスクだけが発生する。そこに税金と言うわけにはいかない。挑戦する側には、規模にもよるが、少なくとも投資の10倍程度の稼ぎが得られ、国家の投資以上の税金が国に戻らねばならぬ。自らが価値化されなければならぬ。小生などは真っ先に消滅せねばならぬ。解っている。化石は不要、無用だ。過去の価値観を振りまく者達は、自らの存在価値を語れねばならぬ。

さて、この条件で縛ってみると、機械一台を購入してものづくり企業が新たに何を作るかと言う大問題に衝突する。大型計算機などは設計できる企業は限られているし、そこに使われる部品一つ一つ、大企業でないと到底入り込めない。マスコミなどでは美談として、こんな町工場がこれだけ素晴らしい部品を作っていると称賛するが、1個1億円で終わったら、投資回収はできないのだ。税金で作るべきものではない。波及効果も含めて考える必要がある。あなたではない、天下が必要としているかだ。生きるために作るのだ、だから仕事があるべきだ。成る程、しかし、天下は大転換している。今の仕事は本当に必要か?この国に必要か?

新幹線などはとてつもなく良くできた製品で、これを設計・監修している方には尊敬の言葉以外、何も浮かばない。時速300kmで激走してもひっくり返ることも分解することもないのだ。最近は足回りが怪しい事件があったが、これなどはもっと反省せねばなるまい。新幹線のような極端な事例は滅多に無いが、国を代表する優れたモノづくり。これからも見てみたいものだが、はてさて、そんな事業に関われる「本当に力のある企業」がどれだけ生き残っていくのか。それだけではなく、もっと国の根本を見つめ直さないといけないでしょうね。そんな世界情勢の中の我が国のモノづくりを考えねば、この先、真っ暗闇でしょうね。