印画紙

片手で持てる厚さの写真の束を、一枚一枚捲りながら笑顔を絶やさず、延々と、降車するはずの駅名のアナウンスが流れた時、慌てて手提げ袋に写真をしまい、いそいそと出ていかれた。写真は瞬間を切り取っているだけなのだが、その奥深くを微笑みの眼差しがストーリーを奏でていた。饒舌な眼差しであった。

写真は良い。紙の写真は大変に楽しい。そして、撮影という行為も素晴らしく楽しい。印画紙のトーンズを思い、明暗と対話し、絞りとシャッタースピードを決める。バライタ紙の階調を考え焼き付けの暗室の楽しさに急く気持ちを抑えて瞬間を待つ。これが撮影である。

PhotoShopが写真屋さんになってしまった今、高画質プリンタとの組み合わせで自由自在な絵を作り出せる。銀塩の登場で絵画界の方々が恐怖した絵づくりが、今、当たり前のように行われている。散々、カメラ遊びをしてきたが、最近はiPhoneでいいやという気分になっている。このくらいでいいやということであって、時間があればやっぱり4X5を引っ張り出したいとは思っている。

写真は良い。どんな過去も美しい思い出になるから。そして銀塩のネガの、上手に処理したものの寿命の凄さである。江戸時代の乾板が発見され、日本橋の活況すらそこに見ることが出来る。大切に写真を抱きかかえたその方に出会って、銀塩カメラを引っ張り出そうかなと、既に笑顔になっている私であります。