価値観

価値は人の数より多いけれど、私物化された価値を取り除くと、神様の数くらいしか残らないのかもしれない。神様を数えたことがあるのかという不毛?な問い掛けは戯言だから無視することにして、「これは素晴らしい」との想いと「これは正しい」をすり替える人の浅ましさよ。

次世代の為と語る方がTVの向こうに限らず、遭難した山の中の熊笹よりも多い。「遭難したことなんて無いよ」と仰る方には、一度で良いからにっちもさっちもいかない目にあってごらんなさいと申し上げたい。人を認められるようになるから。

価値ってお金に換えられる事象の事だけでは無くて、人の心に訴える『場』だと思う。ものでもことでもない。人が生きるには場必要だ。心の中だって場である。その場を自ら定義できない方とはお話は極めて困難である。頑なな心に場を創って頂くことは容易ではない。その方の「価値観」で一杯の心に「お互いの価値」を共創させて頂く。何処にも正義は無いのにそれに向かう。

人の業の深さということなのだろう。皆、同じである。その同じ中から「素晴らしい!」を生み出す。富山でヒスイに穴をあけ、素敵なあなたに勾玉のネックレスを捧げた彼は、彼女にどんな想いを抱いていたのか。技術の精緻化と、その価値を振りかざさず、純粋な気持ちを伝えた彼こそ、我が国最初のエンジニアであり、人の為にそれを尽くすことを実践された人である。そんな人でありたい。