籠城というのだから積極的に外部からの侵入を閉ざすという行為であろう。西暦247年と248年に立て続けに日食が起こり、天岩戸の籠城のイメージが生まれたのであろう。勝手な想像ではあるが、かなりの方が仰っているお話なので、籠城伝説にはうってつけのきっかけだ。黄泉の国に行くなどというのは必然なのだろうから、イザナミの黄泉の国への旅立ちは籠城には数えられないだろうから、やはり天照大神の籠城が日本的には最初としておくのが良かろう。
防御が勝つというのは小田原城からくらいかもしれないが、あれも立派な籠城であろう。まさに城に閉じこもるわけだから読んで字のごとくの出来事で、それには相当のサイズ感が必要ではある。その究極がお江戸の家康だが、これは江戸末期の混乱期で崩壊してしまったから、具体的な籠城経験がなく、小田原の実践的籠城にはかなうまい。まぁ、お江戸のお城は小田原城のコピーだからね。そんなもんだろう。
神代の国から籠城は様々に使われている。ヘッドフォンをつけて聞かぬふりなどというもの立派な籠城だし、知らぬ存ぜぬの姿勢もかなり積極的な籠城と考える。世の中に籠城者の何と多い事か。強引に岩戸を開けようものなら、逆上の末、刃傷沙汰など当たり前に発生する。これなどは籠城から急遽打って出るという、なんだか戦国時代の戦い方の様だ。何を言っても親身になってもその心は開かれない。恐ろしいほど堅固な籠城である。
天岩戸は結局、隙を突かれて説かれてしまったわけだが、暴力は使われておらず、心地よい開城である。一方で、刃傷沙汰に繋がっていく現代の籠城は、開城させようとする気すらおこらない。ここまでくると籠城の勝ちということになるのだが、他者に不愉快な思いを抱かせる籠城は如何なものか。知らんぷりをこちらも決め込めば良いのだろうか。籠城に満ちた世界。うすら寒い。