心の籠城

今週は3日、お江戸でありまして、名古屋が出張状態ですな。多摩川を超えて籠城の趣ですな。そんなこんなでお仕事が溜まっていくわけです。するとヤドカリの如くにお仕事を背負って旅に出るわけですな。正にホテルへの籠城となるわけです。明日もヘビーなお仕事があるとなると、ちょっと一杯の・・なぁんてわけにはいかないのですな。友連れが居れば「行こうか」なんて自分が行きたいくせに。

こんな籠城は極めて辛いわけであります。欲望から身を守るという、ドアの鍵だけでは閉ざせない戸を心に建てるわけで、これは天照大神ですら出来なかったことなのですな。天岩戸の言われは、人間が誘惑に弱いのは、神様とて弱いのだという、自己嫌悪に陥らなくても良いのだよという、稗田阿礼氏の親心と思っていたりして。これは小生の勝手な解釈ですけどね。

近年、海外の方の日本への訪れの増加に伴って、まず、宿泊予約を取るのが大変!目的地からどんどん外れて行って、これでは名古屋に戻った方が良かったんぢゃないの(大げさ)という有様。出張旅費の範囲に入れ込もうとすると、特に春節の真っ只中では無理ですな。

物理的侵入よりも心のストレス源に対する籠城戦こそ、現代病の最たるものと思う訳ですよ。四方八方から飛んできて、悩みを口から出せる人々がうらやましい。こんな時には赤ちょうちんに入るわけにはいかず、籠城できるホテルの部屋に、それこそ籠るわけですな。心の籠城。無血開城は難しいなぁと思ったりして。人の責任に転嫁出来たり、己惚れていて人を欺けている気持ちになれる人が羨ましい。生涯、籠城など無いのでしょうね、羨ましい。