人が暮らす街

東京を歩いてみると、木の風呂桶、金太郎飴などの看板を揚げていらっしゃる。内燃機関が無くなるから仕事を作ってくれとか、興味本位でちょっかい出したからお金が回る仕組みを作れだとか、いろいろと仰っていただける城下町とはえらい違いだ。あぁそうですかと思うだけだ。見下し、足元を見る方々と会話はしたくない。それだけのことだ。

金曜日の東海道新幹線が時速285kmしか出さないことに腹を立てる事はない。車窓の明かりは飛んでいく。しかし、その明かりを背負う心は錨で固定されている。東京の一夜はあの町の一年と甲斐さんは言った。それどころではない。世界の一夜は、我が国の企業、大学を消し去る瞬間を創り出しているというのに、誰もが内向きになる。それが学者だからこそ、お上はそんな組織は要らないと言う。ご尤もだ。

日本列島の生い立ちとそれ故の今において、空母だ戦闘機だと言っていられない事実があるのに、気分はもう戦争の国民はやはりそっちに進むのでしょうね。対話の無い星の上で、同盟もへったくれもない。逆に、対話・会話のあるところには思いやりはやっぱり生まれるものだ。それが共創というものだ。それを行わず、相手が悪いと喚き散らす。それが国際社会との関係性だ。

そんなぎゃあすか叫びまくる社会に迎合するのは極めてらくちんで、凪いだ海に子船を浮かべ、一杯やっている景色である。ところがそんなわけにもいかないわけだが、国家は泰然自若と選挙に行かない国民を優遇する。愉快な国家である。教育と人財育成を混同している愚かさゆえか。泣けてくる。