石油の活用にせよ、地球が生まれて生命が滅びて、それを資源という美名に置き換え都合よく使っているだけだ。水素燃料電池にしても、宇宙において合成された水素と酸素の化合物が、たまたま地球に届いたものを分解して使うだけのことだ。燃料電池の中で何のエネルギーも活用することなく水を電気に変換できるという代物ではない。褒められたものなのだろうかと疑問に思う。
人類が活用するためのエネルギー発生と、その活用に研究テーマは二分されるであろう。ほんの僅かな割合が芸術と呼ばれる思考に充てられているのみである。このエネルギー活用において、波力や風力という地球の回転と太陽の熱エネルギーから生まれる資源の活用が活発化していることは、人類が真っ当な方向に動いているなと感じるわけだが、一人当たりが今の生活を維持しようとした場合には効率が低く、現状、それだけで何とかなる代物ではない。
太陽電池モジュールの寿命は30年と言われているが、既に、この10年で増え続けたモジュールの発火事故がぐんぐんと増えている。屋根の上のモジュールが発火するわけだから、これは所謂「火事」という状況であろう。クリーンなエネルギーを求めた結果が、全財産の消失を招くとはなんと悲しい事であろうか。それを工学人がアシストしているという事実に目を背けることは出来ない。
農業従事者人口が減少を続けているわけだが、エネルギー消費量が減少しているというお話は全くない。工業製品生産の高効率化は猛烈な勢いで進むわけだが、それとて工業製品活用者の増加には追い付かないのが現状だ。地球環境を生命が変化させた初めての状況にあって、小氷河期がやってきたなどと、温暖化と氷河期が中和出来ると認識する社会の悲しい事。定量的数値を眺め続けても食料が湧いてくるわけではない。社会福祉に掛かる費用などとっくに無くなっている国家において、どうジタバタするかだが、はてさて、どんなテーマ設定があり得ようか、思考は終わらない私であります。