アントレプレナーシップ教育とは?

ここ数年、鶴舞大学においてもアントレプレナーシップを醸成する科目が共通科目の中に現れ、若者のビジネスアイデアと市場とを結ぶ教育を進めてはいるが、教育を受けたからと言って、直ぐに雨後の筍の如くに起業家が現れるわけではない。政府も各大学におけるベンチャー企業の起業数を「あんた頑張ってるね」的な指標に加えているのだが、二世、三世に言われたくない。

シュンペーターさんのアントレプレナーは、経済改革に繋がるイノベーションの担い手として示された言葉であるが、起業すればなんでもアントレプレナーであり、イノベーターであり、更には社会に迎合しないアウトローみたいな見方をされるのが我が国の現状では無かろうか。過去の常識を後押しする学会を背後にして、大声で新規なアイデアを潰したり、「俺の方が先だ」と言わんばかりに物まねをして恥じない学者の何と多い事か。

まぁ、それとて大企業の方々が「そっちが安心」と言わんばかりに二束三文で学者の面を叩くわけだが、叩かれた輩が心地良がるから始末が悪い。新進気鋭などどこ吹く風、広辞苑だって新版になれば単語が加わり、そして解釈も見直されるというのに、社会現象に関しては旧態依然、古いものに拝んですがる、そんな工学に辟易する。

今週もお江戸にやってきている。お江戸というか、通り越して下総なんですけどね。こすって削って形を変える道具は、ドイツが正に世界の雄なのですが、そのイベントが我が国にやってきて、枯れ木になって賑わえということらしい。先週はイオンで今週は加工だ。新しい試みのお話なので、観客はゼロではあろうが、まぁ、しゃべってみよう。理解されるようではイノベーションではない。単なる技術改革であって、改良改善もどきだ。それでは寂しいし、アントレプレナーシップ教育などやって良いものではない。恥じ入るばかりである。