季節は銀杏

路上に銀杏が散乱し始めた。御器所駅を出ると銀杏街道が続く。今朝などは、車道に落下した銀杏を車が弾いて、凄まじい勢いで歩道側に飛び込んできた。ラスベガスの惨劇には足元にも及ばないが、朝からいきなり銀杏が真横から飛んでくると、頭上から弾丸が降ってくるそこまでの恐怖を体験したことは無い。

自分を守る領域から、他人を殺傷するその境界面のあいまいさ、薄さに改めて考えさせられる。FBIやSWATがM16を構えている姿を間近で見たというか追いかけられたというか、単に向かう方向が一緒だったというか、それだけでも恐ろしい。それが当たれば死ぬ状況が普通にある。使ってはいけないが、使わざるを得ない状況があり、それが許される国があるということを改めて認識した出来事である。

日本にも原発という人間が抑止不可能な領域が無数と言って良いほどある。いつ、狙われないとも限らない世界情勢にある。必要なのは年がら年中付き合っているという、結局のところ、700万年で滅びなかった唯一の人類種族が実行出来てきたことを繰り返すしか、生き続けるということは出来ないのではないか?進化の過程で勝ち取った5つの母音をこれからも駆使しなければならない。

機構構築の一番の目的は研究者に機構職員がどれだけ寄り添わせて頂くかだ。社会が求めるエビデンスである成果にコミットし、研究だけしていれば外部との繋がりがしっかり出来ると安心して頂ける構造に移行することだ。一朝一夕ではできないが、何かを一つ始めないと何も変わらない、いや、必ずエントロピーは増大し、堕落した形態になる。まだ何も見えないが、一つ一つ、ゼロから数字を生み続けなければ大学は社会から変わったとみなされない。今日もその何かの一つに挑みたい私であります。

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