ゴミ箱の街

週末に車に乗って何気なく中央分離帯を見ると、必ずと言ってよいくらいに草むらにペットボトルや缶が投げ入れられている。道端のたばこの吸い殻なども含めて極めて汚い日本の道路事情である。その他、都市河川などを眺めてみると、ゴミまみれの状況に辟易する。これらがそのまま海に流れ、マイクロプラスチック問題へと発展しているのだなと理解できる。

理解して、だからどうだということも無いのだが、こんなことは決してあってはならないと思う。極力というか、ゴミは持ち帰り責任をもって地域の定めに従って処理をするのが当然なのだが、それがほぼ無視されているような気がしてならない。いや、きっと、たまに見かけるものだから、そしてそれが目立つものだから全国民がゴミのポイ捨てを公共の場所でやっているのではと勘ぐってしまう。まぁ、そんなことは無かろう。

ゴミの分別という点において、名古屋市はかなり良くやっているとは思うのだけれども、それが極めて難しくて、ホームページを見て確認することになる。かなり丁寧に指示されているので、「このゴミの種別が分からない」ということにはならないと思う。恐らく、数々の問い合わせに対応してきた努力の結果なのだと思う。

まぁ、それはそれとして、そもそも論としてゴミを出さない、作らないということが最も重要なのだと考える。ちょこっと調べてみたのですが、年間4千5百万トン以上の一般廃棄物が出ているそうだ。これが多いのか少ないのかぴんと来ないのだが、かなりの量であることは間違いなかろう。その80%程度が焼却処理されているそうだ。今もデスクの周りには捨てれば良いのにと思われるものが、勿体ないからという理由で鎮座している。今週はゴミだらけの人生にスポットを当ててみたい。