果報者とは

都知事が国政とフタマタは無理だろうと思ってはいたが、まぁ、その通りになった。兼任など出来る気ままな稼業であるはずは無くどちらも専念したってえらいこっちゃろうに、気の向くままに国政を揺るがした結果の放り投げ。担ぎ出されたのかもしれないが、事の大切さを意識せずに行動するとこうなってしまうという悪しき見本だ。自らに照らして、心を引き締めねばと感じた次第。

身を引き締めないとどうなっちゃうかという見本がもう一つ新聞にあって、なんと横綱がビール瓶で人の頭を殴打したそうな。された側が生きていること自体が脅威ではあるが、人類が上り詰める最強の地位の猛者が、何があったかは知らないがビール瓶で頭を殴っちゃだめだろう。スマホをいじっていたことにイラっときたと新聞では読み取れたが、そんなことでイラついていたら、今の大学で講義は出来ない。いずれにせよ、トップの地位にある人の行為では無いなと、両名共に情けない。

話は飛ぶようだが、研究テーマを考えるとき、何故、人類は拡散したのかという命題からスタートすると、どこぞでしゃべったので、聞いた方はご存じだろうが、700万年の拡散で、人が誰かと出会うということは間違いなく奇跡なのだと思う。80億人がそれぞれ何らかの役割を持って生まれてきて、異なる役割の人同士が出会って語り合い事を成しあって世の中がある。自分が関われる範囲は相当に狭いが、確実にそこには何らかの影響を与えあう。

その役割が政治家であったり横綱であったりするわけだろうが、それぞれの役割の品格を失う行動は慎まねばならぬ。無茶な内は良いが、無理をすると、時には後戻りできない状態に陥る。無茶な内に指摘をしてくださる方が傍に居てくれる人は幸せだ。その果報をしっかりと心に刻み毎日を過ごせば、きっと何か笑顔がやってくるに違いない。そう信じて今日も一日過ごしてみようと思う私であります。